2012年1月22日 (日)

「90ミニッツ」

作・演出 三谷幸喜 2011.12.25 パルコ劇場にて観劇

「笑の大学」から15年となる、西村雅彦さんと近藤芳正さんの二人芝居。

「笑の大学」では、戦時中の「検閲」を舞台に、西村さんの検閲官と近藤さんの喜劇作家が、それぞれの立場で1つの喜劇台本を間にぶつかり合い、「笑い」の持つパワーを見せつけてくれた。

今回の「90ミニッツ」は・・・?

(以下、ネタバレしています)

笑いは一切なし。超シリアス。

交通事故にあった少年が病院に搬送され、その父親(近藤芳正さん)と医者(西村雅彦さん)が、手術の承諾をめぐってぶつかり合う。

それぞれが、自分が信じる「正しいこと」を行おうとし、主張しているのだけれども、それぞれの「正しいこと」が真っ向から対立してしまう。

世の中に絶対的な「正しさ」なんてない。
人間は、大なり小なりエゴを抱えている。

そういうことはわかっているつもりだったけど、でもこうやって判断をせまられたとき、自分はどういう行動をするだろうか・・・?

など考えてしまったので、観おわって、かなりぐったりしました。。。

両者の、正論とエゴ、エゴと正論の立場逆転の鮮やかさはさすが三谷さん。

三谷さんの「生誕50周年大感謝祭」では、舞台「ろくでなし啄木」「国民の映画」「ベッジ・パードン」「90ミニッツ」、ドラマ「short cut」、映画「ステキな金縛り」を(WOWOW視聴含めて)観ましたが、個人的なベストは、「国民の映画」でした。

やっぱり三谷さんには、笑いを書いてほしいです。

「君となら」「バッドニュース☆グッドタイミング」のような、笑うためのコメディはもう作らないのだとしても、深く人間を掘り下げ、人間のシリアスな面も描いた上での「喜劇」を。

2012年1月14日 (土)

『ぼくは落ち着きがない』 長嶋有

ぼくは落ち着きがない (光文社文庫)
長嶋 有
4334749534

中学生高校生くらいの、人とのかかわりがなんとなくぎこちなくて、演じている感じが、わかる。決して演じていることは悟られないように「いかに自然に演じる」か。

クラスで浮きがちになっている「図書部員」の子たちは、図書部員の中では「演じていることがわかりやすい演技」をしている。それは、クラスでの「あたかも自然であるかのように演じる」ことよりも、安心できる。

そして、その奥にある自分の本当の気持ちに、少しずつ気付いていく少年少女たち。

堺雅人さんの解説も、とても面白かったです。

2011年12月18日 (日)

「ベッジ・パードン」

作・演出 三谷幸喜 WOWOW放送にて

(あらすじ)
時は明治、イギリスに留学にやって来た、後の文豪・夏目漱石(金之助)。
留学中に神経を病んでしまったことは有名ですが、では一体、漱石は留学中、どんな生活をしていたのでしょうか?
鍵は、留学中の漱石の文章に綴られていた、<ベッジ・パードン>なる女性。
漱石の下宿先の使用人だった彼女と、また下宿先の人々との交流を描く。

以下、ネタバレを含んでいますのでご注意を。

深津絵里さん演じるベッジの愛らしいこと!

観おわって、涙を拭きつつも思わず顔がほころびました。
三谷さんの描く人々は、決してみんなが「いい人」ではないけれど、温かい。

三谷さんの描く女性は、「けなげパターン」と「奔放に強く生きるパターン」があって、でもどちらも本当はピュアで不器用な女性たちがほとんどのような気がします。
ベッジは前者で、さらに漱石と恋人関係になってからの漱石を想うがゆえの行動・言動が本当にいじらしくて可愛くて。

きっちりかっちり風の夏目漱石(野村萬斎さん)が、ベッジ相手になるとお茶目になるのも微笑ましい。

また、同じ下宿に住む日本人(大泉洋さん)との関係は、才能を持つが自覚がないばかりか自信喪失で苦しむ人間と、才能を持たないが才能を見抜けるがゆえに嫉妬して苦しむ人間という、「コンフィダント・絆」を髣髴とさせるテーマであり、男同士ってやはりそういうのを感じているのかしらと思わされましたが、どうなんでしょう。

そして浅野さんの11変化。同じ人が演じているとは思えない変わりようで、どの人物も少しずつしか出てこないのに、性格の違いまではっきりわかるのはすごいと思いました。

ベッジの弟(浦井健治さん)は、お姉さんのこと考えるなら、もっとちゃんとしようよ~。

2011年10月16日 (日)

長嶋有 「エロマンガ島の三人」

エロマンガ島の三人 (文春文庫)
長嶋 有
4167693046

「エロマンガ島に行ってエロマンガを読む」という冗談みたいな企画がゲーム雑誌で通ってしまい、3人の男がエロマンガ島に行き、帰ってくる話。

3人の男はそれぞれに日本に気がかりを残していて、短い滞在期間で現地の人たちと関わるうちに・・・。

どんな旅でもそうかもしれないけれど、行く時と、帰ってきた時はほんの少し自分が変わっていることに気づく。

相変わらず、行動描写で細やかな心の動きを表現する上手さは長嶋作品らしい。

でも、読後感は吉田修一作品に似ていた。登場人物へのまなざしは決して冷たくはないのだけれど、どこか客観的に突き放しているようにも感じた。

併録されている4編も含め、長嶋作品としては異色作。「異色作品集」と銘打たれているのも納得。

2011年8月13日 (土)

『ざらざら』 川上弘美

ざらざら (新潮文庫)
川上 弘美
410129240X

生まれては消えていく、23の小さな恋の話。

少女のほのかな恋も、大人の女の恋も、始まる恋も、続く恋も、終わる恋も。

どれも数ページ程度の小さな短編で、その恋の瞬間をスナップショットのように切り取っている。どこにでもある日常として。でも一人ひとりにとっては、ちょっと、特別な。

好きとか嫌いとかでは表現できない、小さな心のゆらめきがすごくよく感じられた。

ところどころ、どこかで自分も味わったような感覚に出会ったりもした。

お気に入りは、「山羊のいる草原」「椰子の実」「笹の葉さらさら」。

2011年7月 3日 (日)

『沖で待つ』 絲山 秋子

沖で待つ (文春文庫)
絲山 秋子
4167714027

第134回(2005年)芥川賞受賞作品。 ★☆☆

会社の異性の同期との関係は、フシギ?

仕事での強固な絆はあるし、しょちゅう飲みにも行くけれど、プライベートには踏み込まない。恋愛関係にもならない。

そんな関係を象徴するような出来事が描かれています。

サラリとしていて、読後感もサラリ。

併録の「勤労感謝の日」は、不条理に会社を辞めさせられた女性の、「それでも私は生きていく」といった日常の話でした。

2011年6月19日 (日)

川上弘美 『蛇を踏む』

4167631016 蛇を踏む (文春文庫)
川上 弘美
文藝春秋 1999-08

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第115回(1996年)芥川賞受賞作品 ★☆☆

(以下感想なので、ネタバレ注意です)

藪で、蛇を踏んだら、蛇が中年の女になって家に住み着いた。

蛇の女は、蛇を踏んでしまった若い女性「ヒワ子」の食事を作って帰りを待っている。
ヒワ子は、気味が悪いと思いながらも、食事ができている有難さから、ついその食事を食べてしまう。
蛇の女は、ヒワ子を「蛇の世界」に誘う。「あたたかいわよ」と。
ヒワ子はその誘惑に耐えながらも、蛇の女を追い出すことができない。

読み終わって、よく意味がわからなかった。

けれど他に収録されている「消える」「惜夜記」も読んでみると、なんとなくわかった。

人間が消えたり小さく縮んだり、馬になったり体から茸が生えたり。やはり気味が悪い。

でもこの気味悪さは、人間が蛇や馬や茸になったり人間に戻ったりする気味悪さではなかった。

生々しいのだ。人間の動物としての本能、欲のようなものが、具体的な動物の姿で表現されていた。ヒワ子の体に巻きつく蛇は、ヒンヤリぬめっとした肌の感触を生々しく想起させ、それは官能的でもある。

「理性を持った動物」としての人間と、「ただの動物」としての人間とのはざまでの葛藤を描いていると考えると、個人的にはしっくりくる。

芥川賞受賞作の「技巧派」「心に訴える派」の2タイプ(と勝手に分類している)では「技巧派」タイプ。

2011年6月 5日 (日)

松本清張 『或る「小倉日記」伝』

4101109028 或る「小倉日記」伝 (新潮文庫―傑作短編集)
松本 清張
新潮社 1965-06

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第28回(1952年)芥川賞受賞作品 ★★☆

体は不自由だが頭脳明晰な青年。彼の幼い頃の記憶に残る、あるキーワードの謎が偶然にも森鴎外の小説から判明したことをきっかけに、やはり謎に包まれていた森鴎外の小倉在住時代の事跡を明らかにすることを生きがいにする。

自分ではどうすることもできないコンプレックスを抱え、そのコンプレックスを自分の頭脳により克服しようとする。その執念は、自らのコンプレックスゆえに、とてつもなく強い。

本作では、主人公の青年が自らの「生きがい」として見つけた森鴎外の小倉時代の探求調査への執念が印象に残った。

また、青年が森鴎外の足跡を尋ね、少しずつ鴎外の小倉での生活ぶりが判明していく過程は推理小説を読むようでもあり、やはり松本清張だと思った。

2011年5月 3日 (火)

「堕落論」 坂口安吾

堕落論 (新潮文庫) 堕落論 (新潮文庫)
坂口 安吾

新潮社 2000-06
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戦後の世相の大転換のなか、坂口安吾は、日本が進むべき方向を見定めるためには、「正しく堕ちきる」ことだと論じています。

「堕ちる」はすなわち、人間の本能に素直に従うこと。
堕ちきることで、自分自身を発見し、自分自身を救う道を見つけられる、と。

人間にとって本能のままに「のみ」生きることは苦難であり、地獄。人間は、永遠に堕ちきることができるほど強くはない。
だから人間は、本能のままに生きることから自らを救う「ルール、制度」を作る。

しかしそのルールや制度が、大義名分や美徳といった、表面的な対策ではなく本質的なものであるためには、「正しく堕ちきる」ことが必要だと。

本当に自分に必要なものは何なのか。本当に社会にとって必要なものは何なのか。

頭で考えるのではなく、自分の本能に聞いてみる。

それは個人だけでなく、組織や、日本という国にも当てはまる、と。

今また多くの人に読まれるべきだと思いました。

2011年5月 1日 (日)

「ボクの音楽武者修行」 小澤征爾

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫) ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)
小澤 征爾

新潮社 2002-11
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今や世界的指揮者である小澤征爾さんが、26歳の時に書いた本。

西洋音楽をするためには、その音楽の生まれた土地、人を知りたいと、24歳の小澤青年は、お金もなく、足として使うためのスクーター1台とともに貨物船に乗りヨーロッパへ向かいます。(当然ながら音楽家としては全くの無名)

そしてヨーロッパをスクーターで旅し、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、その他のコンクールでも優勝、指揮者ミュンシュ、カラヤン、バーンスタインと出会い師事し、ニューヨークフィルの副指揮者に就任して、二年半後に凱旋帰国するまでの、自伝的エッセイです。

その道のりは決して順風満帆ではなく、様々なアクシデントに見舞われながらも、その行動力で乗り越えていったこと。

そして、小澤青年の当時そのままの生活、感情、家族への思いが何と瑞々しいこと。

読み終わって思ったのは、26歳の小澤青年の瑞々しさや軽やかさを、今の小澤征爾さんにも感じるなぁということです。

この瑞々しさや軽やかさが、小澤さんの音楽を特徴付けているのかなと思いました。

2011年4月17日 (日)

「国民の映画」

作・演出 三谷幸喜
2011年4月12日 森ノ宮ピロティホール にて観劇

【あらすじ】舞台は1940年代のドイツ。ヒトラー内閣のもと、宣伝大臣のゲッベルスはすべての芸術とメディアを検閲する権利を持っていた。冷徹だが、実は無類の映画好きで、愛する作品は「風と共に去りぬ」。

そんな大臣がある日、映画人を招きパーティを開く。実は彼は、理想のスタッフ・キャストを使い、ドイツ国民が誇れる「国民の映画」を作ろうとしていたのだ。こうして、政治に映画人とナチス高官の、駆け引きと陰謀に満ちた、狂乱の一夜が始まる。

力になびくか、信念を貫くか、権力と芸術のはざまで揺れ動く人々のパワフルな群像劇が展開!(公演案内より引用)

マジョリティの価値観に流されない強さ。
流されないようにする方法は1つではない。
例えば、声高らかに反旗を翻し、弾圧に耐える人もいる。
例えば、マジョリティに迎合するかのように見せて、本来の目的を達しようとする人もいる。

これら2つのタイプの流されない人々と、マジョリティ側の価値観を作り上げてきた人物が、ある1つの目的・・・「国民の映画」を作るという目的で集うことで、立ち位置の違いが鮮やかに描かれていた。

また、一人ひとりはどこにでもいる善良な市民なのに、集団になってある価値観の下に行動をはじめると、他の考え方を排除したり、他の考えを発言できない空気を作り出して暴走してしまう。

この集団の怖さと、それでも流されなかった人。

何も1940年代ドイツだけの話ではないと思う。
マジョリティの「常識」を疑う冷静な目と、マイノリティを排除しない姿勢を持ち続けたいと思った。

2011年3月21日 (月)

「東京湾景」 吉田 修一

東京湾景 (新潮文庫) 東京湾景 (新潮文庫)
吉田 修一

新潮社 2006-06
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芥川賞受賞作品『パーク・ライフ』を読んで、吉田修一作品はこういうものか、とわかった気になってしまっていたことを大いに反省。

『パーク・ライフ』も本作も、何か大きな出来事が起こるわけじゃなく、淡々として感情描写も冷静という共通点はあるが、『パーク・ライフ』とは違い、人の心を描写することに踏み込まれていると感じた。

人を愛するってどういうことなんだろう、と考えさせられた。
まとまった文章として書こうとすると、手が止まってしまうので、気になった箇所を引用しながら感想を。

"亮介のことをそれほど愛していないからこそ、彼の腕の中でこんなにも自由にからだを解放できるのだ。"

私が本作の登場人物の中で一番共感したのが美緒。この感覚は何となくわかる。
自分を解放するのは自分本位な気がしていて、相手を想うほど、相手本位で行動したくなるから。
(でもそれって違うのかもしれない・・・と最近思ったりもしますが)

"「なるほど。消去法でただ一つ消えないのが、ゆうこちゃんなんだ」"

見飽きたなんて言っていても、消去法でただ一つ消えないなんて、ものすごいことだと思う。
(たぶん誰でも、誰かの、消去法でただ一つ消えない存在、になりたがっているのだと思う。もちろん、私も。)

"あんなに愛してたのに、それでも終わったんだよ。人って何にでも飽きるんだよ。自分じゃどうしようもないんだよ。好きでいたいって思ってるのに、心が勝手に、もう飽きたって言うんだよ。"

最初この部分を読んだ時は、すごく理解できた。そうだよね、と思った。
でもこの部分と「消去法でただ一つ消えない存在」に自分の中で矛盾を感じたので、考えた。

終わるときはただ単に「飽きた」のではない気がする。そうではなくて、相手と向き合うことを「諦めた」のではないか。しかも「心が勝手に」ではなく、自分の意思で。
好きとか好きじゃないとかいう感情の問題ではなく、それとは無関係の「続けられない要因」のほうが気になってしまって、終わりを決めるのかもしれない。そしてその要因はおそらく、言葉にして正確に表現するのはとても難しいものである気がする。少なくとも、相手に正確に伝えるのは。
そして感情の問題ではなかったがゆえに、「飽きた」と思うしかない、と。

(ただこれはあくまでも「飽きて終わる」ことについてであって、何らかの要因で「嫌い」になって終わるのもあるのでしょうし、それは向き合うことを諦めた云々ではないでしょう。)

「美緒も亮介くんも何も始めてないじゃない。始めるのが怖くて、お互いに目をつぶったまま抱き合ってただけじゃない!」

思わずハッとしてしまった。ずっと一緒にいても「何も始めていない」。
これまで私も「何も始め」ずに終わらせてしまっていたのかもしれないと思い知った。
それこそ、「飽きた」「飽きられた」で済ませてしまって。

1つ前に読んだ「ひとり日和」と合わせて、この2冊は大きな収穫だったと思う。

2011年3月20日 (日)

「ひとり日和」 青山 七恵

ひとり日和 (河出文庫) ひとり日和 (河出文庫)
青山 七恵

河出書房新社 2010-03-05
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第136回(2006年) 芥川賞受賞作品 ★★

20歳の知寿と、71歳の吟子さんとの二人暮らし。

二人の人とのつながりの持ち方は対照的。
変わらず穏やかな恋を続ける吟子さんと、恋の相手がどんどん変わっていく知寿。

移ろいやすい人間関係の代表ともいえる「恋」を題材にして、 自分のところに来て、そして去っていく人たちへの心の持ち方を描いている。

これはあるいは、自分の過去をどう消化するかという話でもある。

若い時ほど、過去にこだわるのか。
知寿は、去っていく人への執着はしないくせに、 去っていった人たちの痕跡を大事に保管している。
一方吟子さんの、どんなにか物語のあったで あろう過去はすべて名前のない額縁に飾られ、吟子さんは忘れたと言って今を生きる。

(翻って私は。私にはもう、離したくない人たちがいる。知寿のように、離れていく人の背中をただ眺めて、あとで少し感傷的になれば済んだ時代は過ぎてしまったし、吟子さんのように、去っていった人をまとめて名前のない額縁に入れるほど達観してもいない。)

あと、この作家は表現がとても上手い。

「春なんて中途半端な季節はいらない。」
「夏のはじめは、ブルーナのイラストみたいに世界の色が鮮やかで単純だ。」

芥川賞の技巧派に属する作品だろう。

波乱万丈な物語もなく、人の心を大きく揺さぶる出来事もなく、物語としては淡々としているし、登場人物の人との距離感の作り方はいたって現代的でそっけなくも感じる。

けれどもその静けさが、作者が描きたかったことを あぶり出しのように浮き上がらせているように思う。

2011年3月 4日 (金)

「英国王のスピーチ」

見てきました。

上品な映画でした。とても。

優しさと、友情と、愛情にあふれる成長物語。


コンプレックスに悩む英国王を、きっと観客も心から応援しながら観ていたことでしょう。

「ソーシャルネットワーク」

見てきました。以下、ネタバレ注意です。






IT起業を題材とした人間関係の話。facebookをベースにしてるのが効いていたように思います。

自分は認められて当然という気持ち、劣等感、自己顕示欲、それらのあまり他人をないがしろにし、ひたすら大きくなることだけに集中する。そしてそこに群がる、金儲けしたい人々。

少数の圧倒的勝者と大多数の敗者の現代社会は、努力は報われず紳士はバカを見て、圧倒的能力と人を蹴落とす人間が勝者となる。勝者はそうしていくうちに孤独になる。

誰も幸せになれないのに、世の中はそれを増長する方向に動いてる。。

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